留学体験記-Study abroad experiences-

三宅 孝典 (鳥取県立厚生病院 外科)

香川県出身、平成14年度鳥取大学医学部卒業の三宅 孝典と申します。

内視鏡外科技術認定医取得にむけての技術向上のため、平成28年4月から岩手医科大学外科学講座、下部消化管グループに国内留学という形で研修をさせていいただいています。

鳥取大学医学部病態制御外科学講座(旧第一外科)に入局してほぼ実臨床は関連病院で修練していました。胆嚢摘出術以外の腹腔鏡下での執刀は平成24年から私は始め、腹腔鏡手術を意欲的に取り組み始めたのは平成26年頃からだったと記憶しています。それまでは開腹でしか行っておらず、腹腔鏡下手術をあまり行っていない病院にも在籍していた時期もあったため、自分の技量からは開腹で行うのがbetterと考えている時期もありました。

腹腔鏡補助下回盲部切除術を初めて担当させてもらうことになった時にどうやって行うか医学書だけではイメージがつかず、途方に暮れていました。当時勤務していた外科の一番学年の近い上司よりこの先生の手術が勉強になるよと渡されたのが大塚 幸喜先生の手術ビデオでした。その手術ビデオを見た時の衝撃は今も覚えています。的確な層へ最短で入り、無駄のない剝離操作、適切な郭清をほぼハーモニック1本で行い、音声から落ち着きのある声でわかりやすい解説しながらの手術。大塚先生の手術を真似てこれからはやっていこうと心に決め、それから数えられないくらい同じ手術ビデオを見返しながら手術に臨んでいきました。

基本的に電気メスを使用して剥離受動していく先生が鳥取の方は多いため、腹腔鏡経験の乏しい私のハーモニックさばきに幾度となく、注意が入りましたがなんとかお許しを得ながら手術をさせていただいていました。

そしていつしか、大塚先生の下で手術を学びたい、岩手医科大学に研修に行きたいとの思いがどんどん強くなり、周りの親しい先生方にもその夢物語を話すようになっていきました。しかし、鳥取と岩手の距離は想像以上に遠く、全く知っている先生もいないため、どうやって大塚先生と連絡をしていいかもわからない、鳥大の医局の許しを得られるかもわからない状況の中でなぜかいつか行くことだけは何の根拠もなく、行けると考えている自分がいました。

平成26年の夏に先輩の紹介で大塚先生が講師として招かれる他大学主催の研修に2人欠員が出来たので急遽行ってみないかと誘いを受けました。それは是非参加したいということで外来終わりで飛行機で飛んでその研修に参加させていただき、その夜の会で大塚先生の隣に座らせてもらい、自己紹介、大塚先生のもとで修練を積まさせていただきたいことをお話ししました。その時、お話をさせてもらって大塚先生の人間性も素晴らしいことを再確認し、絶対に行くことを決めました。

そして何度か連絡を取らせていただきながら、また鳥大の医局とも交渉を行いながら平成28年4月から研修させていただくことが決定しました。

段々、岩手に行く日が近づくにつれ、学べる高揚感とまた誰も全く知らない環境の中でうまくやっていけるかの不安が出てきましたがそれも来てしまうと全くの杞憂でした。下部消化管グループのメンバーはもとより、他のグループの医局員の方々も暖かく迎え入れてくれて気にかけてもらい、非常に楽しく研修を受けさせていただいています。

研修初日に腹腔鏡下Miles手術があり、スコピストとして入りましたが160分間で手術が終了するといういきなり殴られたような衝撃を受けました。今までMiles手術は早くても5時間くらいはかかるものと認識していたため、全く違う次元の手術を見てさらにここで研修できる自分に歓喜しました。

研修は最初の頃は特に大塚先生の手術のスコピストを優先してさせていただきながら術中に解説を受け、まずはこれまでに下部消化管グループで定型化してきた術式の流れを眼と体で覚えることから始まります。スコピストを半年間ずっと行っていくことでその時にはなかなか実感はわきませんが自分の手術やビデオクリニックで提供されたビデオを見ているときに違ったことを行っていると自分の中の違和感として感じるようになり、そこが問題点だということが分かるようになります。

半年を過ぎた頃より第一助手、術者の機会が得られるようになります。どちらも行うことによっていかに場をつくり、術者にやりやすい環境を作り、力加減などどうしていくかや術者はどうハーモニックや鉗子を操作し、どう場を指示して相手に伝えるかなどスコピストで養った感覚的な部分を今度は理論化して実践していく指導を受けます。

そして術者を行った後はその手術を自分で見返した後、疑問点などをもって大塚先生に個人ビデオクリニックをしていただくという他地域の先生からしてみたらとても贅沢な講義を受けさせていただきます。こうやって実践、反省、振り返り、そして大塚先生の手術ビデオを見直して再確認を行いながら手技を定型化させていきます。

また下部消化管グループのメンバーで技術認定医を取得されている木村先生、箱崎先生をはじめ、今年取得されるであろう八重樫先生、一年早く留学されている上嶋先生にも御指導を受けたり、議論したりしながら色々なことを吸収させてもらっています。

大学病院の特性として後輩や学生の指導がありますが3年目の畑中先生や10月から入局された高清水先生に色々指導しているようにみせて自分の知識の再確認や彼らのガッツあふれる意気込みに自分を省みながら自分に活を入れさせていただいています。学生も素直な子達が多く、(偏見がありますが)今まで私が出会った私大生達とは違って岩手医科大学の学生は真面目で優秀な学生が多いと思います。

大塚先生の手術手技見学に全国の先生が来られます。その際に機会があれば、色々なお話をしたり、他施設の手術ビデオを見て議論したりもして刺激を受けたり、また御高名な先生方が講演に来られてその際に色々なお話を聞かせていただいたりと普通ではなかなか会話できない方々とも会話させていただいたりと非常に勉強になりました。

今年度は大腸癌研究会が盛岡でまた腹腔鏡下大腸切除研究会が安比で行われました。全国の大腸外科医の方々が一堂に会する光景は圧巻でこのような会にスタッフとして参加できて光栄でまた大塚先生の偉大さを痛感しています。

今回、諸事情により、1年という期間で鳥取に戻らなくてはならなくなりましたが残りの月日で出来るだけ、吸収して帰りたいと思っています。また帰ってからも定期的に見学などに来たいと考えています。

最後になりましたが今回の研修を許可して頂いた佐々木 章教授、大塚 幸喜先生をはじめ、日々ご指導を頂いています医局員の方々、医療スタッフの方々、また出張に行かさせていただいています関連施設の先生方に心より感謝を申し上げます。

上嶋 徳 (浜松医科大学外科学第二講座 大腸グループ)

長野県出身、平成20年度岩手医科大学卒業の上嶋 徳と申します。

内視鏡外科技術認定医取得を目標とし平成27年4月から静岡県浜松市の浜松医科大学外科学第二講座より岩手医科大学外科学講座、下部消化管グループに国内留学という形で学びに来ております。

私自身、医学部に入学した時点では整形外科医を目指しておりました。五年生の臨床実習で大塚幸喜先生の手術に大変感銘を受け消化器外科医を目指すことになった経緯もあり、今回、大塚幸喜先生の下での研修を熱望いたしました。留学のオファーを快く受けていただきまして大変感謝すると共に、必ずや2年間で技術認定医を取得し帰局する事を心に誓ったとことを覚えております。

学生時代の臨床実習から10年が経過しておりましたが、当時と同様に大塚幸喜先生の手術は大変刺激的なものでした。無駄のない鉗子操作、的確な剥離・血管処理。学会や研究会で拝見する、全国の消化器外科医がお手本とする手術手技でした。

研修が始まると大塚幸喜先生がポイントごとに解説を入れながら執刀されている手術画像を頂きました。まずは下部消化管グループで作り上げてきた定型化の手技を徹底的に覚えるところから研修が始まりました。

スコピストとして手術に参加し、カメラ操作を学び、その後に執刀という流れになりました。

定型化手技は技術認定医を取得された木村聡元先生、箱崎将規先生のみならず平成21年度卒の八重樫瑞典先生にも享受されており、若手外科医の手術手技向上に大きく貢献しているものと思われました。

また、定期的に行われるビデオクリニックでは手術に参加出来なかった先生からの助言もいただき自分の手技の至らない点が浮き彫りになり次回の手術の課題とすることができました。

私自身、学生時代を岩手で過ごした事もあり、帰ってきたという実感がありました。母校を出て遠く離れた静岡の地で研修をし、浜松医科大学外科学第二講座に入局した私にとって、医局はホームであるようなアウェイであるような複雑な場所でした。岩手医科大学外科学講座は母校の医局であり先輩・後輩も多く、国内留学とはいえ、ホームに帰って来たかの様な気持ちで参りました。そんな図々しい私を下部消化管グループの先生方のみならず他のグループの先生方にも暖かく迎えていただき大変感謝しております。

そして、母校の後輩である学生の指導に携わることで私自身得るものも多く、これからも後輩の育成にも尽力していかなければと実感しております。

早いもので1年が経過し、限られた留学期間も残すところ1年となりました。岩手での仕事を楽しみつつ、残された時間を大切にし、少しでも多くの事を学び、吸収していこうと思います。

最後になりますが、今回の研修を許可して頂きました大塚幸喜先生をはじめ、日々ご指導頂いております佐々木章教授をはじめ医局員の先生方、医療スタッフの方々に心より感謝申しあげます。

石橋正久(H20年卒)

ishibashi1私は平成23年度から2年間、若林剛教授と大阪大学消化器外科森正樹教授、九州大学病院別府病院外科三森功士教授の御厚意により、国内留学という形で九州大学病院別府病院外科にて、大学院博士課程の研究をさせていただきました。

別府病院外科には、関連する全国の病院から集められた消化器癌・乳癌の手術標本サンプルが大量に保管されています。また癌患者さんから採取した末梢血や骨髄も保存されているのが特徴です。別府病院外科ではこれらのサンプルを使って、遺伝子発現を中心とした分子生物学的機序の視点から癌そのものや癌患者さんの体内で起きていることの特徴を捉え、癌の性質を理解し、癌の治療へつなげることを目標として、全国から集まった多くの大学院生が研究を行っています。

この国内留学は大変貴重な経験となりました。第一に、留学地や全国の大学院生を通して、自分と異なる文化圏に触れられたこと。自分が知らなかった多くのこと(分子生物学、土地、歴史、他の大学の情報など)を学ぶことが出来ました。第二に、彼らをはじめとする新たな出会いが多くあったことです。もしかしたら留学中の出会いが、将来日本全体を結ぶネットワークを創り上げるきっかけとなり、大きな研究などに結び付くかもしれないと思うと興奮します。これらの経験は将来の自分にとって大きなプラスになると感じています。

ishibashi2別府病院外科での生活は、テーマに沿った実験計画を指導教官と相談し、期間内の目標到達に向けて各自のリズムで流れていきます。毎週月曜日の医局内研究会・週2回の抄読会・最新論文を紹介する勉強会などの医局行事以外の時間は、ピペットマンを握って実験したり、テーマに関する論文を検索して読んだり、教科書と睨めっこしたり、学会発表に向けてスライドを作成したり、論文を書いたりして1日の大半を過ごします。もちろん実験が夜遅くまでかかった時は他の大学院生と一緒に外食したり、実験が上手くいかない時は気分転換に温泉へ行ったりします(これぞ別府ならでは、です)。温泉も非常によかったですが、大分県は海・山に恵まれ食材が豊富で、日々の食事や飲み会がいつも楽しみでした。名物として知られる関アジ・関サバの他に、特に大分名物『とり天』は多くの店で楽しませてもらいました。思わしくない実験結果以外では、体重の増加が唯一の悩みでした。

別府病院では医局主催の歓送迎会はもちろん、共同研究室との研究発表会や、年一回の医局旅行などのイベントがたくさんあります。2012年の医局旅行では日田市のビール工場を見学し、湯布院温泉でのんびりと日々の疲れを癒しました。東京大学医科学研究所から共同研究者の方がいらした時は、仕事の後に別府名物『地獄めぐり』を楽しみました。このような様々なイベントは、医局内外の交流を深めることで、よりよい研究成果への到達に向かっていこう、という別府病院外科医局の精神が表れたものだと思います。

私は医学研究とは大学院で終わるものでなく、医者である限り一生続けていくものと考えています。その研究生活の入門を、破格の好環境である別府の地で過ごすことが出来たのは極めて幸運でした。この素晴らしい経験を与えて下さった先生方に心から感謝申し上げますとともに、この記事を読まれた方が別府での研究生活に少しでも興味を持っていただければ幸いです。どうもありがとうございました。

小林めぐみ(H19年卒)

私は外科の中でも小児外科医を目指しています。小児外科は対象が1kgに満たない赤ちゃんから時には40歳以上の患者様に及び、それぞれの疾患は複雑で患者様ごとに最適な診断・治療方針を計画していく必要があります。身体が小さい分、急変もしやすくその判断のために知識・経験が非常に重要となります。学位取得後の卒後6年目に私は国内留学の機会を得ることができました。

2012年7月から半年間、我が国の成育医療・研究・教育の中核であり全国から小児医療を学ぶ若い医師が集まる国立成育医療研究センターで移植外科3か月、小児外科3か月の研修をさせていただきました。

2012年には年間47例の肝移植を行った移植外科は、世界一の小児肝移植施設としてまさに世界一の先生方とその周囲のバックアップ体制がありました。患者及びその家族と命の狭間で踏ん張りながら、論文を読み書きし、世界中の病院とやり取りをする医師の姿がありました。脳死移植施設となった岩手医大において小児肝移植は必至であり重要な役割を担う事を意識しながら、私は期間中20例以上の肝移植を学び様々な合併症とその対処法を経験しました。同時に岩手初の脳死臓器摘出に赴き研修先で移植するなど短期間でも濃厚な時間を過ごすことができました。岩手医大の脳死移植が確立するにはまだまだ多くの時間と支援が必要であり、今後私は自分の学んできたことを還元する必要があります。

小児外科は主に東大と慶応からのスタッフ6名、レジデント3名で構成されそれぞれの伝統、特色を持ち合わせていたため岩手医大小児外科についても改めて考える研修となりました。岩手ではまだ積極的に行われていない胎児治療、岩手でも積極的に行っている集学的治療は非常に先進的で専門性が高く、手術手技の向上のみならず外科治療を必要とする患者様の呼吸・循環・栄養・感染といった周術期管理の勉強もさせて頂きました。そして何より同じ目標を持つ若手小児外科医3人と様々な話ができたことは自分にとって一番の刺激であり糧となりました。

kobayashi2東京での生活は常に周りからの刺激があり時の流れを早く感じます。ぼっとしていても入ってくる情報量は多く、研究会もたくさん行われ交通手段も便利なため気軽に参加することができます。満開の石割桜、夏のさんさ踊り、岩手山の雄大な紅葉、凍てつく冬の寒さなど季節の移り変わりを感じながら診療を行う地元に根付いたこの病院で、東京のみならず世界と同等に頑張っていくためには常に高いモチベーションと強い意志を持ち続けることが必要です。目的をはっきりさせ挑む研修は短期であっても決して無駄ではなく、自分の進むべき道を再確認できる素晴らしい機会でした。

私は初期研修を終え結婚し学位・外科専門医を取得しました。その間もいずれ専門研修をしたいと考えていましたがその時期に関しては曖昧で具体的な前例もなく実現するかどうか定かではありませんでした。女性は同時期に出産、子育てといった家庭の事情が入るためこのようなことを断念せざる得ないことが多いかもしれません。しかし私にとってこの研修は医者であり続けるためにも、勉強・自由時間すべてがこれからの自分のための貴重な日々でした。岩手医大外科において女性医師はまだまだ少ないですが、このようにして楽しく働いている一例があります。外科に進もうか迷っている方、あきらめる前にぜひ一度見学に来てみてください。

石田和茂(H17年卒)

Kazushige Ishida1

Laboratory of Cell Biology(LCB)
セクションのスタッフ

2010年8月から2年間、アメリカはメリーランド州にある米国国立衛生研究所(National Institutes of Health / NIH)に研究留学をしてきました。海外留学と聞けば、上級医が更なるステップアップのために行くというイメージがあるかもしれませんが、私は大学院を卒業した年に渡米することを許可していただきました。外科学講座にも海外留学を経験された先輩は若林教授を含め何人もおられますが、私のように若い段階で留学するというキャリアは若林教授が目指す医局像の表れでもあったと思っております。

アメリカでは、脱リン酸化酵素であるWip1(Wild type p53 Induced Protein 1)の機能を多角的に解析するプロジェクトに参加してきました。また、自分のプロジェクトを持って研究活動することも出来ました。臨床医が基礎研究をすることの意味は様々ですが、私のように癌治療を行う者にとっては、相手(癌)を知り、手持ちの手段(抗悪性腫瘍薬)を理解する、という意義があると思います。帰国後は乳腺グループで癌治療を主とした臨床活動を行っておりますが、研究留学で得た経験、知識や考え方は、癌治療医としての成長に大きな影響を与えていることを実感しております。

また、アメリカで様々な国の人達に囲まれて仕事をしたことは、国際的視野を持つ必要性を自覚させられるものでありました。医学、科学、その他どの分野においても日本国内で完結することは少なく、その多くが海外から持ち込まれる時代であります。無意識に外へ目を向けることができ、かつ自分のプレゼンスをアピールすることが必要とされる時代になりつつあります。これらは、私のような若手医師、もしくはこれから医師になる者にとって今後更に重要となる感覚だと思います。このような経験を若いうちにさせていただけた事は、若林教授が若手の研究や海外留学を奨励する環境にいたからこそであります。今後、研究活動や海外留学を志す先生方、もしくは外科学講座入局を考えている医学生の方達には、この環境を大いに利用していただきたいです。
Kazushige Ishida2

Dr. Ettore Appellaと、表敬訪問してくださった若林教授、吉田先生、八重樫先生

 

Kazushige Ishida3

NBA(シカゴブルズ戦)にて娘と

最後に、私のアメリカでの生活を少し紹介させていただきます。アメリカでは魚を生で食べる文化が無いので渡米直後は生魚のありがたみを噛み締めておりました。しかしながら、環境が変われば舌も変わるもの。週末に巨大な肉のブロック(日本では見た事がない・・)を購入し、毎日の様に肉ばかり食べておりました。職場のカフェテリアで売っている物といえば、ハンバーガー、ピザ、ポテト、フライドチキンなど高脂肪かつ高カロリーなものばかり。これらを毎日大量に消費するアメリカ人とは根本的な体の作りが違うことも実感させられました(私の職場のボスは健康志向のイタリア人で、オイリーなランチを楽しんでいた私に「そんなのは食べ物じゃない!!」と叱責する毎日)。

また、アメリカといえばスポーツ。全米中でNBA、アメフト、メジャーリーグ、プロゴルフツアーなどが行われており、ミーハーな私も、NBAを観に行ったり、マリナース時代のイチロー選手を応援しに行ったりしておりました(石川遼選手も近所の大会に来ましたが、こちらは仕事の都合で行けませんでした)。また、JAXAのワシントン支局長と知り合い、JAXAのワシントンD.C.事務局を訪問したり、国際弁護士、テレビ局駐在員、大使館職員などと知り合って、見た事のない世界の話を聞けたりした事も留学の醍醐味の1つでした。ネパールに大学を建てることを目標とするネパール人研究者とは一番の友人になり、酒を飲みながら将来の話をしたこともあります。

このように研究留学といっても、そこから得られるものはアカデミックな事に限らず、自分の人生観(齢、33歳の若造ですが)に影響を与えるような出来事の連続だったと思います。医師は医学部に入った段階で人生の道筋が決まったようにも感じますが、自分のキャリアを流れに任せず、見た事も無い道を迂回して来るのも悪くないと思います。留学の機会を与えてくださった若林教授をはじめ、理解を示してくださった医局の先生方に感謝を申し上げ、本稿を閉めさせていただきたいと思います。
Kazushige Ishida4

家族ぐるみで仲の良かったDukkaファミリー